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「かわいい」という概念は、日本独特の文化として発展し、今や世界中で「Kawaii」として認知されています。もともと少女や若い女性の魅力を称賛する言葉であり、幼さや純粋さ、守りたくなるような愛らしさを表現してきました。しかし、現代の「かわいい」は単に外見の魅力だけでなく、ファッション、アート、ライフスタイルに至るまで、アイデンティティの一部となっているため、若い世代への影響は計り知れません。

1. カワイイ文化の起源と進化

「かわいい」は元々、日本で女性や少女に対する褒め言葉として使われ、その純真さや小動物的な愛らしさを示すものでした。1970年代から80年代にかけて、日本のサブカルチャーが隆盛し、漫画やアニメ、アイドル文化の中で「かわいい」が理想化され、視覚的なアイコンとして確立されていきました。現在では「カワイイ」は世界中に広がり、特に若者文化の一部として日本発の流行を生み出しています。

2. 外見へのプレッシャーと自己表現の難しさ

「かわいい」文化が発展するにつれて、外見に対するプレッシャーも増大していきました。「かわいい」が一種の評価基準となり、SNSの普及により他者と比較する機会が増え、自己表現が外見重視になりがちです。十代の若者が整形を希望するのも、「かわいい」基準に近づきたいという願望や他者との比較からくる劣等感が背景にあります。このような状況では、若者が「かわいい」に縛られ、自己肯定感を外見でのみ見出そうとする可能性が高くなります。

3. 親としてどう対応するべきか

整形を望む若者に対し、親は次のようなアプローチが有益でしょう。

自分の価値観を形成するサポート:親が一貫して「外見だけが価値を決めるわけではない」と伝えることが大切です。かわいさだけでなく、知性、創造力、親切心など、内面的な成長や自己表現が大切だと教えることで、自分の価値を幅広く理解できるよう促します。

カワイイ文化の背景を話す:日本独自の文化として「カワイイ」がどのように発展してきたか、そしてそれが他者に与える印象の一部であることを話してみるのもよいでしょう。「カワイイ」は一つの表現方法であり、それが唯一の価値基準でないことを理解する助けになるかもしれません。

ポジティブなSNSやロールモデルの選定:SNSではどうしても外見的な「かわいさ」ばかりが強調されがちですが、ポジティブで多様な価値観を発信しているインフルエンサーやロールモデルを見つけることも有効です。外見だけでなく内面の成長を応援しているような人々を紹介することで、若者により広い視点を持たせることができます。

4. カワイイ文化を再定義する

「カワイイ」は多様な表現の一つであり、柔軟であるからこそ成長してきました。社会全体が「カワイイ」=外見に限らないというメッセージを共有することで、若者が自己表現の幅を広げ、より豊かな個性を追求できる土壌をつくることが可能です。外見だけでなく、性格、考え方、趣味なども「カワイイ」の一部として認められるように、「カワイイ」の価値観を再定義していくことが重要でしょう。

「かわいい」は本来、親しみや共感、愛らしさを表す言葉であり、多様な表現が許容される社会があってこそ育まれるものです。若者が自分らしさを発見し、成長するための選択肢の一つとして、「かわいい」を受け入れられる文化が大切だと言えるでしょう。

ZINE

自分もずっとかわいくなりたいって思ってた。かわいいは無敵だとおもってた。ステレオタイプなかわいさから距離があることもわかってたので、自分なりに異端のロールモデルを参考するようになっていった。すなわちボディポジティブなぽっちゃりキャラの芸能人でかわいい人を肯定し、にたようなカッコをするようになっていった。

かわいいことはポジティブなことだから悪いことじゃないと思う。でもそのカワイイにわたしたちが踊らされた裏には、かわいくない大人によって作られた虚像があることは、広告の仕事をやってる以上、すぐに気がついてた。わたしはわかってそのゲームに乗ってたのかもしれない。

分かった上で、あえていう、わたしはまだかわいいを追いかける。こんどはかわいいおばあちゃんんになるために、もしかしたら電通か博報堂あたりが、かわいいおばあちゃんブームをつくり、そのためのファッションをユニクロとコラボしてつくり、街にかわいいおばあちゃんが溢れるのかもしれない。それでもわたしはそのブームに乗っかるだろう。なぜならば、私たちは広告都市の上で踊ってるのだけだから、それが資本主義というものなんだろう。

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この言葉だけでChatGPTはたった1回で、アイキャッチの画像を生成した。まるで本当に原宿にありそうな「カワイイ」ショップだ。その前にたたずむ彼女はなにを考えているのだろう。

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