Glossary

トランスジェンダーの定義は様々です。この言葉は時として広義にも狭義にもつかわれます。狭義のトランスジェンダーである性別不合の診断はICD-11 に基づいて行われ、「実感する性別と割り当てられた性との間の不一致」 の確認が必要です。「実感する性別」は当事者の内的体験を含むものであり、必ずしも 日常生活や社会的役割、服装などにおいて表出されているとは限らないともいわれてます。また、性別二元論にあてはまらないノンバイナリーも含むと言われています。

この狭義のトランスジェンダーに、女装、オートガイネフィリア、ドラッグクィーンは、トランスジェンダーという広範な用語の中には必ずしも含まないという風にいっています。あくまでもトランスジェンダーは「「実感する性別」の問題だということです。

以前、つかわれていた「トランスジェンダーアンブレラには」これらの人々のほか、トランス男性、トランス女性、ノンバイナリー、ジェンダークィア、ジェンダーフルイド、そして場合によってはジェンダーノンコンフォーミングやクロスドレッサーなどもも含まれていました。

しかし、包括しすぎることによる個々のアイデンティティの希薄化、トランスジェンダーの狭義的な解釈等の理由により、「トランスジェンダーアンブレラ」は差別的だと取る人達もでてきました。
包括的であることがポジティブであり、連帯感を促進する一方で、他の人々にとっては、自分たちの特定の経験やアイデンティティが見過ごされたり希薄化されたりするように感じられることもあります。したがって、用語の使用にあたっては、個々のアイデンティティを尊重し、彼らの希望に応じて使い分けることが重要です。

EZIN

この言葉を語るとき、1番みんなが気にしているのは「トランス女性は女性である」は否か、正しいのかという問いと、多くのヘイトだろう。

この問題を語るには2つの因数分解をしなければならない、「トランスとはなにか」「女性とはなにか」の2つの問いである。

トランスとは、ラテン語の「trans」は、「向こう側に」「越えて」という意味を持ちます。この語源から、英語を含む多くの言語で「trans-」という接頭辞が使われるようになりました。たとえば、Transportation(輸送): 「trans-」+「port(運ぶ)」=「何かを越えて運ぶ」という意味です。ジェンダーにおける「トランス」の使用も、この基本的な意味から派生しており、性別の枠組みを越えることを示しています。

では、わたしは何かを超えたり、向こう側にいったのだろうか、悩むんです。そもそも元からここに居て、その事にきがつかず、間違えたところ、または中間地点にいて、やっと気がついて戻ったと言う感覚があるからです。

もうひとつの「女性とはなにか」については長い考察になると思うので、別のZINEで行いたいとおもいますが、言えるのは、外性器の形状=生物「学」的性別とは、所詮「学」なので、どっかの偉い先生が決めたかのように考えられるものでしかありません。外性器の形状、出産可能性、染色体の状況、ホルモンのバランス、脳のMRI画像…結局、生物学的な性別にはまだ決着がでてないのが現状だと思います。

性別とはSex(生物学的性別)だけでなくGender(社会的性別)による生活実態によって決まるものであり、どちらも社会構築的なものであることは自明の理です。バトラーのいう「セックスとはジェンダーである」とはこのことです。

ではトランスジェンダーはなにを乗り越え、どこへむかうのでしょう。
生活実態を社会的に女性に乗り越え向かった人、手術で体の形状を女性に向かった人、いろいろいると思います。

それぞれの違和感から自分らしく生きれるところへ越境することは、性別にかかわらず可能なのだと改めて思います。

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