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ケアの倫理(Ethics of Care)は、1980年代にフェミニズム哲学の中で発展した倫理理論で、道徳的行動や判断を個人間の関係性やケアの役割に基づいて捉えるものです。この倫理理論は、従来の男性中心の倫理学(カントや功利主義など)が重視する抽象的な規則や個人の自律性に対して、より具体的で感情や人間関係を重視するアプローチを提供します。

ケアの倫理の基本的な考え方

  1. 関係性と相互依存:
    ケアの倫理は、人間が互いに依存し合う存在であるという前提に立っています。すべての人間は、人生のどこかで必ず他者のケアを必要とする存在であり、ケアを通じて社会が成り立っています。このため、ケアを道徳的な中心に据えることが重要だとされます。
  2. 具体的な状況に基づく判断:
    ケアの倫理は、抽象的な普遍的ルールに基づいた道徳判断よりも、具体的な状況における関係性や感情、ケアの必要性を重視します。これは、他者との個別的な関係に基づいた倫理判断が必要であり、規範を機械的に適用することは必ずしも適切ではないと考えるからです。
  3. 感情と共感の役割:
    感情や共感はケアの倫理において重要な役割を果たします。他者の苦しみやニーズに対する共感が、ケアする行為を動機づけるとされ、倫理的行動の原動力となります。
  4. ケア労働の評価:
    伝統的に女性が担ってきたケア労働(子育て、介護、家庭内の仕事など)が、社会において過小評価されてきたという問題を浮き彫りにし、これを正当な倫理的・社会的価値として認めることを提唱します。

フェミニズムとの関係

ケアの倫理は、特に女性の経験やケア労働に焦点を当てているため、フェミニズムの倫理としての側面が強いです。従来の倫理学が公共の場での合理性や自律性を強調してきたのに対し、ケアの倫理は日常生活の中で行われるケア労働や感情労働を道徳の中心に据えます。これは、家事や育児、介護などが歴史的に女性に負わされてきた役割であり、これらが「目立たない」存在として社会的に軽視されてきたことへの批判とも言えます。

フェミニズムの視点からは、ケアは単なる個人的な問題にとどまらず、社会全体の再生産や維持に不可欠なものであると捉えられます。ケアの労働が適切に評価され、支援される社会は、より公正で平等な社会になるという視点がここにはあります。

社会の倫理としてのケアの倫理

ケアの倫理は個人レベルの関係にとどまらず、社会全体の倫理としての展望も持っています。これには、次のような要素が含まれます。

  1. 社会的ケアの必要性:
    家庭内やプライベートな関係だけでなく、教育、医療、福祉など、社会全体でケアを必要とする領域が数多く存在します。ケアの倫理は、こうした社会的制度や政策がケアを支援し、促進するべきだと主張します。
  2. 相互依存的な社会:
    ケアの倫理は、社会が個人の独立性に基づくものではなく、相互依存的な関係性に基づくことを強調します。すべての人が他者からのケアを必要とし、また他者にケアを提供するという相互の関係性が、健全な社会の基盤とされます。
  3. ケアの社会的責任:
    社会全体がケアを支えるための責任を持つべきだとし、特にケア労働者や介護者が不当に軽視されたり、経済的に搾取されたりする現状に対して、制度的な改革が必要とされています。

まとめ

ケアの倫理は、個人の生活だけでなく、フェミニズムの倫理や社会全体の倫理として重要な視点を提供しています。特に、感情や共感、他者との関係性を道徳の中心に据えることで、従来の道徳理論が見落としてきた側面に光を当てています。また、フェミニズムにおいては、女性の経験や労働が評価されるべきであり、それが社会の公正さと福祉に直結するとされています。ケアの倫理が広く社会に浸透することで、より人間的で相互依存的な社会が築かれることが期待されています。

ギリガンと岡野

キャロル・ギリガン(Carol Gilligan)と岡野八代は、ケアの倫理に関して重要な貢献をした二人の学者です。彼女たちの考え方は、ケアの倫理がどのようにフェミニズムや社会全体に関連するかを理解する上で不可欠です。それぞれの視点に触れながら、ケアの倫理における彼女たちの役割について説明します。

キャロル・ギリガン (Carol Gilligan)

キャロル・ギリガンは、ケアの倫理を提唱した最も著名な学者の一人で、1982年に出版された『もうひとつの声で』(In a Different Voice)がその出発点となりました。彼女の研究は、従来の道徳発達理論、特にローレンス・コールバーグの理論に対する批判から始まります。

ギリガンの主張

  1. 従来の道徳発達理論への批判:
    コールバーグの理論は、道徳的成熟を抽象的な規則や権利に基づいた倫理的推論によって測るものでしたが、ギリガンはこれが男性中心の視点に偏っていると批判しました。彼女の調査によると、女性は規則や権利よりも、具体的な人間関係や他者へのケアを重視する傾向があることを示しています。これにより、従来の道徳発達理論が女性の倫理観を低く評価していたことが明らかになりました。
  2. 「ケアの倫理」と「正義の倫理」:
    ギリガンは、従来の倫理理論(特にコールバーグが主張した「正義の倫理」)が個人の権利や義務、普遍的な規則を重視しているのに対し、女性の多くが重視するのは「ケアの倫理」であると論じました。ケアの倫理は、他者との関係性や責任、共感を軸にしたアプローチであり、道徳的な判断は具体的な状況に応じて行われるとしました。
  3. 女性の経験を重視:
    ギリガンは、女性が経験するケアの実践や感情的なつながりを道徳の中心に据えるべきだと主張しました。彼女の研究は、フェミニズムにおけるケアの倫理の基盤を築き、女性の倫理観や経験が適切に理解され、尊重されるべきであることを強調しています。

岡野八代 (Yayo Okano)

岡野八代は日本の政治学者で、フェミニズムとケアの倫理を深く探求し、日本社会におけるケアの役割やフェミニストの視点からの政治理論を発展させました。彼女の著書『フェミニズムの政治学』は、ケアの倫理を政治理論に組み込んだ独自のアプローチを示しており、ケアの倫理が単に個人の問題にとどまらないことを明確にしています。

岡野八代の主張

  1. ケアの倫理と政治:
    岡野は、ケアの倫理をフェミニズムの視点から広げ、ケアを政治的に重要な問題として捉えました。ケアは、家庭内だけでなく、政治的、社会的な場でも実践されるべきだとし、特に日本社会における女性の役割やケア労働の軽視に対して批判的な視点を持っています。彼女は、ケアが単なる個人の責任に押し付けられるのではなく、社会全体の責任として扱われるべきだと主張しています。
  2. ケアの政治学:
    岡野は、ケアが政治的な力関係に深く関わるものだと考えます。特に、ケア労働は歴史的に女性が担ってきたため、その評価が低く抑えられていることに対する批判を展開します。彼女は、ケアを社会的、経済的に公正な形で再編することが必要だと主張し、ケアの倫理が公的な政策や制度に組み込まれるべきだと提唱します。
  3. ケアの脱商品化:
    岡野はまた、現代の資本主義社会においてケアが「商品化」され、プロフェッショナルなサービスに依存する傾向が強まっていることにも懸念を示しています。彼女は、ケアが商品化されず、他者に対する無償の関心や責任が社会の基盤として再評価されるべきだと論じています。

ギリガンと岡野の共通点と違い

  • 共通点:
    ギリガンも岡野も、ケアの倫理が道徳や社会の中心であるべきだと考えています。彼女たちはどちらも、女性の経験やケア労働が社会的に軽視されていることを批判し、ケアを公正に評価する社会の必要性を強調しています。
  • 違い:
    ギリガンは主に道徳発達理論や個人間の関係性を重視したケアの倫理を提唱していますが、岡野はケアの倫理を社会的・政治的な問題として拡張し、ケアを社会全体の構造的な問題として捉えています。また、岡野は特に日本の社会的文脈におけるケアの役割やフェミニズム運動への貢献に注力しています。

まとめ

キャロル・ギリガンと岡野八代は、ケアの倫理の重要性を異なる視点から強調しています。ギリガンはケアを道徳の基盤とし、女性の経験を評価することで倫理学の枠組みを拡張しました。一方、岡野八代はケアを社会の基盤とし、政治的・経済的な文脈においてもケアが重要な役割を果たすべきだと主張しています。ケアの倫理は、フェミニズムの倫理であるだけでなく、社会全体の公正さや持続可能性に関わる重要な視点です。

ZINE

わたしのフェミズムの原点

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