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日本のリブ(ウーマンリブ)運動は、1960年代後半から1970年代にかけて盛り上がり、さまざまな思想やアプローチを持つ人々や団体が活動しました。アメリカでのリブ運動の影響を受けつつも、日本独自の問題や文化を反映して展開されたのが特徴です。

1. 「青鞜派」からの影響

日本の女性運動はリブ以前からありましたが、リブ運動の思想は「青鞜派」や戦後の婦人運動からも影響を受けました。青鞜社は1920年代に平塚らいてうが中心となって創立した女性文学団体で、女性の自己表現と解放を掲げて活動しました。彼女たちは「新しい女性像」を模索し、自己のアイデンティティと女性の権利について議論を重ねました。

2. ウーマンリブ大会(1970年)

日本でのリブ運動が本格的に始まったのは、1970年の「第1回ウーマンリブ大会」からです。この大会では、アメリカでのリブ運動に感化された女性たちが集まり、女性の性、家族、労働、教育といった問題について率直に議論しました。この大会の後、日本のリブ運動は急速に広がり、女性たちが自分の生き方を見直す機会が生まれました。

3. 田中美津と『いのちの女たちへ』

田中美津は、リブ運動において象徴的な存在の一人です。彼女の著書『いのちの女たちへ』は、家父長制的な社会での女性の抑圧について力強く書かれており、多くの女性に影響を与えました。田中美津は、リブ運動における「いのち」というキーワードを強調し、女性が自分の生命力や自己決定を尊重することを訴えました。

4. 小田真理と「なぜ私は女を拒むか」

小田真理もリブ運動の思想家の一人であり、特に1971年に書かれた『なぜ私は女を拒むか』が注目を集めました。この著作では、女性が「女性らしさ」を強要されることに対する批判や、女性の性の自己決定権について論じています。小田真理は、女性が自身を抑圧する社会的な枠組みを自ら破っていくことの重要性を説きました。

5. 「リブ新宿センター」

リブ新宿センターは、1972年に設立された日本初の女性センターで、女性が自由に集まり、リブ運動の情報交換や自己表現を行う場として機能しました。センターでは、中絶や性の自己決定権、女性の生活改善など、幅広いテーマでの活動や講座が行われ、女性たちが知識を得たり、励まし合ったりする場となりました。

6. 女性解放連合(チャンネル)

日本のリブ運動において、女性解放連合(通称チャンネル)も重要な役割を果たしました。彼らは、「家族制度」や「家庭の役割」に対して批判的な立場を取り、家父長制からの脱却を目指しました。特に、夫婦関係や母親役割に対する再考が求められ、女性が自由に生きるためには従来の家族観の見直しが必要とされました。

7. 「ぐるーぷ闘う女たち」

「ぐるーぷ闘う女たち」は、1970年代に日本で活動していたリブグループの一つで、女性の権利獲得や性暴力撲滅を目指して行動していました。特に、暴力の被害者支援やセクシュアル・ハラスメントへの対応など、実際の社会問題に焦点を当てて活動しており、女性の安全と権利を守るための活動を展開しました。

8. 意識向上グループ(Consciousness-Raising Groups)

日本のリブ運動でも、意識向上グループが重要な役割を果たしました。小規模な集まりで、日常生活や職場での経験、家族関係などを話し合い、自分が感じている問題が個人的なものではなく、社会的な構造からくるものであることを認識することを目的としました。これにより、多くの女性が孤立せずに、共感し合いながら自己を見つめ直す機会が得られました。

9. 各種団体による社会的活動

その他にも、多くの団体が設立され、それぞれ異なるテーマで活動していました。例えば、働く女性の権利を訴える「労働者リブ」や、性教育の普及を目的とする団体、DVや性暴力被害者支援を目的とする団体など、多様なリブ団体が登場しました。それぞれが専門分野で活動することで、リブ運動全体として女性の地位向上に寄与しました。

10. 日本のリブ運動の特徴とその後の影響

日本のリブ運動は、アメリカのリブ運動に影響を受けつつも、家族制度や社会的役割への批判、性の自己決定権の確立といった日本特有の課題に対応していました。この運動は、その後のフェミニズム運動に大きな影響を与え、特に1980年代以降の職場での平等権を求める運動や、1990年代以降のDV防止法の成立などにつながっていきました。

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