傷つけられうるという、人間の条件を指す。「脆弱性」「傷つきやすさ」「可傷性」などと訳されるが定訳はなく、カタカナのまま使われることも多い。「脆弱性」はその人の欠陥のように、「傷つきやすさ」は性格のように読めてしまう。訳語の落ち着かなさ自体が、この概念の位置づけの難しさを映している。

人は身体を持ち、他者にさらされて生きている。だから傷つけられうる。ジュディス・バトラーは2000年代以降、この共通の条件から出発する政治を構想した。ただし条件は共通でも、それがどう配分されるかは平等ではない。誰の傷つきやすさが公に悼まれ、誰のそれが数えられないのか。バトラーはこれを「不平等に配分されたヴァルネラビリティ」として問題にする。

依存が支えを必要とすることに注目するのに対し、この語はさらされていること、境界が閉じないことに注目する。近い場所を照らす、別の光の当て方である。

→依存、→ケアの倫理

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