自分自身を手当てし、保つこと。ただしこの語は、由来の異なる二つの流れが合流してできている。

ひとつは医療・看護の系譜である。1970年代にドロテア・オレムが、人が自分の生命と健康を維持するために行う営みとしてセルフケアを定義し、それが不足するところに看護が入ると論じた。ここでのセルフケアは、能力であり、支援の対象でもある。

もうひとつは政治的な系譜だ。オードリー・ロードは1988年、がんとともに生きるなかで、自分を大事にすることは自己耽溺ではなく自己保存であり、それ自体が政治的な戦いなのだと書いた。生き延びることが想定されていない者にとって、生き延びること自体が抵抗になる——黒人でレズビアンで病を抱える書き手が置かれた条件から出てきた言葉である。

現在この語が置かれている位置は、そのどちらとも違う。入浴剤とスキンケアと有給の一日として商品化され、心身の不調は個人が自分で整えるべきものへと読み替えられていく。長時間労働も、ワンオペ育児も、相談窓口の不足も、「休めなかったあなた」の問題に縮められてしまう。構造の失敗が個人の管理不足に振り替えられる回路である。

だからこの語は、二つの問いとセットで使うのがよい。誰がケアされずに来たのか。そして、なぜそれを自分でやらなければならないのか。

→オードリー・ロード →ケアの倫理(ethics of care) →ポストフェミニズム →アンペイドワーク(unpaid work/無償労働) →エンパワーメント

参考文献

  • オードリー・ロード『シスター・アウトサイダー』(岸まどか訳、エトセトラブックス、2022年)
  • オードリー・ロード『がん日記』(伊藤比呂美訳、明石書店、2000年)
  • 岡野八代『ケアの倫理——フェミニズムの政治思想』(岩波新書、2024年)

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