人が互いに依存し合う存在であることを出発点に据える倫理。自律した個人どうしが権利と義務を調整する、という近代倫理学の前提そのものを問い直すところに特徴がある。
起点は心理学者キャロル・ギリガンが1982年に発表した『もうひとつの声で』である。ギリガンは、道徳的成熟を抽象的な原理の適用能力で測るコールバーグの発達理論を批判し、具体的な関係と責任にそくして考える別の道徳的推論があること、そしてそれが従来「未熟」と評価されてきたことを示した。
ただしこの議論は慎重に扱う必要がある。ケアを「女性の声」として提示したことは、ケアを女性の資質と結びつける本質主義に回収されかねない——という批判が、フェミニズムの内部から早くに寄せられた。調査対象がアメリカの中流階級の白人女性に偏っており、そこで語られた「女性の経験」は誰の経験なのか、という問いも突きつけられている。現在では、ケアは女性の性質ではなく、すべての人間が免れられない条件として捉え直されている。
ジョアン・トロントはこれを、誰がケアを担わされ誰が免除されているのかという責任配分の問題へ拡張した。日本では岡野八代が、政治思想としてのケアの倫理を論じている。
ケアの倫理は、正義の倫理に取って代わるものではない。両者をどう編み合わせるかが問われている。
→キャロル・ギリガン →岡野八代 →エッセンシャルワーカー →インターセクショナリティ →家父長制
参考文献
ジョアン・C・トロント『ケアするのは誰か? 新しい民主主義のかたちへ』岡野八代訳・著、白澤社、2020年
京都賞「キャロル・ギリガン」 https://www.kyotoprize.org/laureates/carol_gilligan/
キャロル・ギリガン『もうひとつの声で 心理学の理論とケアの倫理』川本隆史・山辺恵理子・米典子訳、風行社、2022年(原著1982年/増補版1993年)
岡野八代『ケアの倫理 フェミニズムの政治思想』岩波新書、2024年