Glossary
1. クィア・スタディーズの概要
クィア・スタディーズとは?
クィア・スタディーズ(Queer Studies) とは、ジェンダーやセクシュアリティをめぐる固定的な概念を批判し、多様なアイデンティティや欲望のあり方を探求する学問分野です。主に1990年代以降、フェミニズムやLGBTQ+研究の発展とともに形成され、ポストモダニズムや脱構築の影響を受けながら展開してきました。
クィアとは?
「クィア(Queer)」という言葉は、元々英語圏で「奇妙な」「風変わりな」といった否定的な意味を持っていました。しかし、1980年代以降、LGBTQ+コミュニティによって再定義され、「異性愛規範(ヘテロノーマティヴィティ)に収まらないすべてのアイデンティティや実践」 を指す包括的な概念へと変化しました。
クィア・スタディーズでは、「クィア」を単なるセクシュアル・マイノリティのカテゴリーとしてではなく、ジェンダーやセクシュアリティを本質的なものではなく、社会的・歴史的に構築された流動的な概念として捉えます。
クィア・スタディーズの誕生と背景
クィア・スタディーズは、フェミニズム理論、ポスト構造主義、カルチュラル・スタディーズ、ゲイ&レズビアン・スタディーズの影響を受けながら発展しました。特に、ミシェル・フーコー(『性の歴史』)やジュディス・バトラー(『ジェンダー・トラブル』)などの思想が大きな影響を与えています。
クィア・スタディーズは、単にLGBTQ+の権利を擁護するものではなく、そもそも「男女」「ゲイ/ストレート」といった二元論的な枠組みそのものを問い直す 批判的アプローチを特徴としています。
2. クィア・スタディーズで扱われる主要テーマ
① ヘテロノーマティヴィティ(異性愛規範)批判
クィア・スタディーズの中心的なテーマの一つが、ヘテロノーマティヴィティ(Heteronormativity) です。これは、
- 異性愛が「正常」であり「自然」なものとされる社会規範
- それに適合しないセクシュアリティが異端視される構造
を指します。
この異性愛規範を批判し、社会に埋め込まれた「当たり前」を問い直すのがクィア・スタディーズの重要な視点です。
② ノンバイナリーとジェンダーの流動性
クィア・スタディーズでは、ジェンダーを固定的なものではなく、歴史的・社会的に構築されたものとして捉えます。特に、
- ノンバイナリー(非二元的性):男性/女性という二元的な枠に当てはまらないアイデンティティ
- ジェンダーフルイディティ(流動的な性):固定的な性別に縛られず、時と場合によって変化するジェンダー
といった概念が注目されています。
③ アイデンティティ・ポリティクスとクィア・ポリティクス
クィア・スタディーズは、アイデンティティ・ポリティクス(identity politics) に対する批判的視点を持っています。
- アイデンティティ・ポリティクスは、特定の抑圧された集団(例:ゲイ、レズビアン)の権利を主張する運動を指します。
- 一方、クィア・ポリティクス は、特定のアイデンティティを固定化せず、「クィアであること自体が流動的であり、多様な可能性を持つ」 という立場を取ります。
④ トランスジェンダー研究と身体の政治学
クィア・スタディーズの中には、トランスジェンダー研究 も含まれています。
- 「性別は身体的特徴によって決定される」という考え方への批判
- トランスジェンダーの経験やアイデンティティの多様性の探求
- 性別適合手術やホルモン治療に関する議論
などがテーマになります。
また、身体の政治学 という視点では、「正常な身体」とは何かを問い、インターセックス(XXY、AISなど)の人々がどのように社会によって分類されてきたかを検証します。
⑤ クィア・アーカイブと歴史の再構築
クィアの歴史は、主流の歴史記述の中で抹消されがちです。そのため、クィア・スタディーズでは、
- 過去のクィアな存在や文化を再評価する
- LGBTQ+の歴史的な経験を記録し、共有する
といった「クィア・アーカイブ(Queer Archive)」 の取り組みが重要視されています。
例えば、中世ヨーロッパの「モリー・ハウス(Molly House)」や、20世紀初頭のゲイ文化の研究などが挙げられます。
⑥ クィアな表象とメディア分析
映画、文学、音楽などの文化作品の中で、クィアなアイデンティティがどのように表現されてきたのかを分析するのも、クィア・スタディーズの重要な領域です。
3. クィア・スタディーズの今後
クィア・スタディーズは、単なる学問分野にとどまらず、社会運動や政策にも影響を与えています。近年では、
- クィア・エコロジー(環境問題とジェンダー/セクシュアリティの関係性)
- クィア・ディスアビリティ・スタディーズ(障害学との交差)
- ポストヒューマン・クィア・スタディーズ(人間中心主義を超えたジェンダー観)
といった新たな方向性が探求されています。
参考文献
- Judith Butler, Gender Trouble (1990)
- Michel Foucault, The History of Sexuality (1976)
- Eve Kosofsky Sedgwick, Epistemology of the Closet (1990)
- Jack Halberstam, The Queer Art of Failure (2011)