性にまつわるあり方の総体を指す語。誰にひかれるか、どんな行為をするか、何を快楽と感じるか、自分をどう認識するか、どんな関係を結ぶか——これらをまとめて含む。生殖に還元されないところに、この語の要点がある。

セクシュアリティは、しばしば「本能」や「自然」として語られてきた。それを歴史のなかで作られたものとして捉え直したのがミシェル・フーコーである。『性の歴史』(1976年)は、近代社会が性を抑圧したのではなく、むしろ性について語らせ、分類し、専門知の対象にしてきたと論じた。19世紀の医学的言説のなかで「同性愛者」というカテゴリーが誕生したことは、その象徴である。それ以前にも同性間の行為はあったが、その行為をする者を一つの人格の類型として名指す枠組みはなかった。行為が、人のありようの名前になった——これは近代に起きた転換である。

セクシュアリティは、性別を割り当てられた身体(セックス)とも、社会的な性のありよう(ジェンダー)とも重なりながら、それらと同じではない。三つを区別することで、はじめて見えてくる経験がある。

同時に、この領域には序列が働いている。異性愛で、一対一で、生殖に結びつく性が中心に置かれ、そこから遠いものほど周縁化される。ゲイル・ルービンが「性のヒエラルキー」と呼んだ構図である。アセクシュアルやアロマンティックのように、ひかれないことを軸に自己を語る言葉が出てきたのも、この序列に対する問い直しの一部だといえる。

何を「ふつうの性」と感じるとき、私たちは誰の基準を借りているのだろうか。

→性的指向 →セックス →ジェンダー(gender) →クィア・スタディーズとは何か →ヘテロノーマティビティ

参考文献

  • ミシェル・フーコー『性の歴史I 知への意志』渡辺守章訳、新潮社、1986年(原著1976年)
  • Gayle Rubin, “Thinking Sex: Notes for a Radical Theory of the Politics of Sexuality”, in Pleasure and Danger, Routledge, 1984
  • 風間孝・河口和也『同性愛と異性愛』岩波新書、2010年

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