女性を愛する女性。自認にもとづく呼び名であり、誰と関係を持っているかによって決まるものではない。

語源は、古代ギリシャの詩人サッポーが暮らしたレスボス島にさかのぼる。ただし、この語が「女性同性愛者」を指す言葉として使われはじめたのは19世紀末で、当初は医学や性科学が病理として名指すための用語だった。それを当事者が引き受け、自分から名乗る語へと変えていったのが20世紀後半である。

1970年代のアメリカでは、この語をめぐってフェミニズムの内部が揺れた。初期には、レズビアンの存在が運動の信用を損なうとして遠ざけられ、「ラベンダー色の脅威」と呼ばれる。だが1970年、当事者たちがその呼び名を書いたシャツを着て大会の壇上に現れ、名指しを引き受けてみせた。

そこから流れが反転する。男性に依存しない生き方こそが女性解放の実践なのだ、という主張が現れ、レズビアンは運動の後ろではなく先端に置かれるようになった。フェミニズムが理論なら、レズビアニズムはその実践である——そうした言い方が広まったのもこの時期である。

ただし、この持ち上げ方にも批判が向けられた。レズビアンであることが政治的な選択として語られるとき、実際に生きられている欲望や関係は、理念を証明する材料に縮められてしまう。遠ざけられることと、旗として掲げられること。扱いは正反対でも、その人自身が見られていない点では同じだった。

この語をめぐっては、いまも境界の議論がある。誰がレズビアンと名乗れるのか、その線をどこに引くのか。だが歴史を見れば、この語は一貫して、外から線を引かれる側にあった。名乗ることを許可制にしない——そこは引き継がれてきたはずの原則である。

→レズビアン連続体 →強制的異性愛 →レズビアンフェミニズム

参考文献

  • 堀江有里『レズビアン・アイデンティティーズ』洛北出版、2015年
  • 菊地夏野・堀江有里・飯野由里子編『クィア・スタディーズをひらく』晃洋書房、2019年
  • アドリエンヌ・リッチ「強制的異性愛とレズビアン存在」『血、パン、詩。——アドリエンヌ・リッチ女性論』大島かおり訳、晶文社、1989年

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