他者の支えなしには生きられないという、人間のありようを指す。日本語では「依存症」「共依存」のように、そこから脱すべき状態を名指す言葉として使われることが多い。だがケアの倫理は、この語に貼りついた否定的な含みそのものを問い直してきた。
人は誰も、幼い頃には全面的に世話される。老い、病み、傷ついたときにも同じことが起こる。エヴァ・フェダー・キテイは、この避けようのない依存を「不可避の依存」と呼んだ。さらに、依存する人をケアする側もまた支えを必要とする立場に置かれることを「二次的依存」と名づけている。ケアの担い手が孤立し、経済的に不安定になりやすいのは、個人の事情というより、この構造による。
裏返せば、問われているのは「自立」の側である。誰にも頼らずに生きる個人という近代の理想像は、実際には、誰かのケアに支えられながら、その支えを見ないことで成り立ってきた。自立とは依存がないことではなく、依存が隠されている状態なのかもしれない。
→ケアの倫理、→ヴァルネラビリティ、→ケアワーク