力を得ること、あるいは奪われていた力を取り戻すこと。個人の能力向上ではなく、自分の生に関する決定権を握り直すという意味あいで使われてきた語である。
思想的な源流のひとつは、ブラジルの教育者パウロ・フレイレの識字教育にある。フレイレは、読み書きを教えることを技能の伝達ではなく、自分の置かれた状況を言葉にして捉え直す過程として構想した。この「意識化」の考え方が、1970年代以降のコミュニティ組織化や当事者運動に受け継がれていく。
国際的な政策の言葉として定着したのは1990年代である。1994年のカイロ国際人口開発会議、1995年の北京行動綱領を通じて、女性のエンパワーメントは開発と人権の中心概念になった。教育、収入、健康、そして政治参加。決定の場に女性がいることそのものが目標に据えられた。
日本語では「力をつける」と訳されがちだが、そこにずれがある。もともとの含意は、力がなかった人に力を与えるのではなく、もともとあった力を奪ってきた仕組みのほうを問うことにあった。
だから、この語が自己啓発の語彙として流通するとき——輝く、活躍する、自分を磨く——出発点はほぼ裏返っている。構造を問う言葉が、個人の努力を促す言葉に置き換わる。日本の「女性活躍」という表現が抱えている居心地の悪さも、たぶん同じところから来ている。
誰が誰をエンパワーするのか。その主語を確かめると、この語が本来の意味で使われているかどうかが見える。
→コンシャスネス・レイジング →ポストフェミニズム →ジェンダー主流化 →SRHR →ケアの倫理(ethics of care)
参考文献
- パウロ・フレイレ『被抑圧者の教育学——50周年記念版』(三砂ちづる訳、亜紀書房、2018年)
- 村松安子・村松泰子編『エンパワーメントの女性学』(有斐閣、1995年)
- 「北京行動綱領」(第4回世界女性会議、1995年)