気候変動を、排出量や技術の問題としてではなく、公正さの問題として捉える立場。誰が原因をつくり、誰が結果を引き受けるのか。その配分の偏りを中心に置く。
偏りは三つの軸で語られる。ひとつは国のあいだ。産業革命以降に温室効果ガスを累積して排出してきたのは主に北の豊かな国で、海面上昇や干ばつの被害を先に受けるのは、ほとんど排出していない島嶼国や南の国である。ふたつめは世代のあいだ。決定するのは現在の大人で、結果を生きるのは、まだ決定に参加できない世代である。
三つめは、ひとつの社会のなかの偏りである。同じ猛暑でも、冷房のある部屋で過ごせる人と、屋外で働く人、電気代を気にして冷房を控える人では、届く被害がまったく違う。災害のあとの片付けを自分でやるしかない高齢者と、業者を頼める人でも違う。気候の負荷は、すでにある格差の上に乗る。
この視点は、運動と法廷の両方で使われてきた。近年は各国で気候訴訟が起こされており、政府の不作為が人権侵害にあたると判断された例もある。損失と被害に対する基金の設立も、この論理から生まれている。
排出を減らすことと、その負担をどう配るかは、別の問題である。後者を扱う言葉がなければ、対策そのものが新しい不公正を生む。
→環境レイシズム →脱成長 →インターセクショナリティ
参考文献
- 宇佐美誠編『気候正義——地球温暖化に立ち向かう規範理論』勁草書房、2019年
- 環境省「気候変動の観測・予測・影響評価に関する統合レポート」 https://www.env.go.jp/earth/tekiou.html
- ジェンダー事典編集委員会編『ジェンダー事典』丸善出版、2024年