有害な廃棄物処分場、汚染を出す工場、幹線道路といった環境負荷の大きい施設が、人種的・民族的少数者の居住地域に集中して置かれること。またその構造を指す語。

言葉が生まれたのは1980年代のアメリカである。ノースカロライナ州で、有害物質を含む土壌の処分場が黒人住民の多い郡に建設されることになり、大規模な反対運動が起きた。この出来事をきっかけに、汚染施設の立地と人種の相関を調べる調査が行われ、両者に明確な関係があることが示された。環境問題は、最初から人種の問題でもあった——この認識が、環境正義(environmental justice)と呼ばれる運動の出発点になった。

重要なのは、これが個々の差別意識の結果ではないという点である。土地が安く、住民に政治的な発言力がなく、反対運動が組織されにくい地域が選ばれる。その条件を満たす場所が、歴史的な差別によって作られてきた。誰も差別する意図を持たなくても、結果として偏りが生じる。

日本でこの語をそのまま当てはめることはできないが、同じ形の問いは立てられる。公害の被害が集中した地域はどこだったか。原子力発電所や基地が置かれてきたのはどこか。負担を引き受ける場所は、どのように選ばれてきたか。

→気候正義 →インターセクショナリティ →ブラック・フェミニズム

参考文献

  • United Church of Christ Commission for Racial Justice, Toxic Wastes and Race in the United States, 1987
  • 戸田清『環境的公正を求めて——環境破壊の構造とエリート主義』新曜社、1994年
  • 宇佐美誠編『気候正義——地球温暖化に立ち向かう規範理論』勁草書房、2019年

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