視覚メディアが、異性愛男性の視点を標準として組み立てられていること。1975年に映画批評家ローラ・マルヴィが論文で提示した。

マルヴィは、映画における見る/見られる関係が三重になっていると指摘した。撮影するカメラの視線、作中の男性人物の視線、そしてそれに同一化させられる観客の視線である。この三つが重なるとき、女性の登場人物は物語を動かす主体ではなく、眺められる対象の位置に固定される。

重要なのは、これが個々の作品の趣味の問題ではなく、様式として制度化されている点だ。身体をゆっくりなぞるカメラワーク、行動する男性と待つ女性という配置、宣伝ポスターでのポーズの差。ひとつひとつは慣例にすぎないが、積み重なると「そういうものだ」という文法になる。

女性の観客は、その文法のなかで奇妙な位置に置かれる。自分と同じ性別の人物を、男性の視点から眺めるよう促されるからだ。マルヴィが問題にしたのは、この居心地の悪さだった。

その後、フィメイル・ゲイズやクィア・ゲイズといった対抗概念も提出されている。ただし視線を入れ替えるだけでは足りず、誰がカメラの後ろに立つのかという制作現場の構造まで含めて問われるようになった。

→ボディポジティブとボディニュートラル →メイクとルッキズム →カワイイ文化 →性差別

参考文献

  • ローラ・マルヴィ「視覚的快楽と物語映画」1975年(斉藤綾子訳、岩本憲児ほか編『「新」映画理論集成1』フィルムアート社、1998年 所収)
  • ジョン・バージャー『イメージ——視覚とメディア』伊藤俊治訳、ちくま学芸文庫、2013年

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