社会の既定値の側にいることで、本人が求めなくても与えられている優位のこと。特別な待遇というより、考えなくて済むことの集まりである。

この捉え方を広めたのは、1988年にペギー・マッキントッシュが書いた「白い特権——見えないナップサック」という文章だった。彼女は、自分が日々何を気にせずに済んでいるかを五十項目ほど書き出している。肌の色で入店を疑われないこと、教科書に自分と似た人が載っていること、道を歩いていて職務質問されないこと。どれも努力で得たものではなく、最初から背負わされている見えない荷物である。

ジェンダーに置き換えれば、夜道の帰り方を考えなくてよいこと、会議で発言をさえぎられないこと、名前を変えるかどうかで悩まずに済むこと、といったことになる。

誤解されやすいのは、特権を持つ人が楽をしている、という読み方である。そうではない。長時間労働に苦しむ男性が男性特権を持っていることは、両立する。特権とは幸福度の話ではなく、どの困難が制度に想定されていないかの話だからである。だから「男性もつらい」という指摘は、特権の存在を打ち消さない。

ジョーン・トロントは、これを「特権に守られた無責任」と呼んだ。ケアが誰にどう担われているかを見なくて済むこと、それ自体が特権の中身なのだ、と。

自分が何を考えずに済んできたか。それを数え上げる作業から始まる概念である。

→ジョーン・トロント →抑圧 →インターセクショナリティ(intersectionality) →ヘテロノーマティビティ →アンコンシャスバイアス(無意識の偏見)

参考文献

  • Peggy McIntosh, “White Privilege: Unpacking the Invisible Knapsack”, Peace and Freedom, 1989
  • 出口真紀子ほか『真のダイバーシティをめざして——特権に無自覚なマジョリティのための社会的公正教育』(上智大学出版、2017年)
  • ジョアン・C・トロント『モラル・バウンダリーズ』(岡野八代ほか訳、勁草書房、2024年)

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