男性に期待される「強くあれ」「弱音を吐くな」「支配せよ」といった規範が、他者を傷つけ、同時に本人をも損なう形で働くこと。

意外に思われるが、この語はフェミニズムの側から出てきたものではない。1980年代から90年代にかけてアメリカで広がった神話的男性運動(mythopoetic men’s movement)のなかで、「本来の健全な男らしさ」と対比させる形で使われ始めた語である。つまり当初は、悪い男らしさと良い男らしさを分ける発想を前提にしていた。

学術的により精密なのは、R・W・コンネルが提示した「覇権的男性性」である。コンネルが示したのは、男性性は一つではなく複数あり、そのなかの特定の型が支配的な位置を占め、他の男性性(従属的なもの、周縁化されたもの)を序列づけていくという構図だった。有害かどうかという善悪の枠ではなく、男性同士の階層と、その階層が女性の従属を前提にしている点を扱える。

この語には批判もある。「有害」という強い言葉が個々の男性への非難として受け取られやすく、対話が始まる前に閉じてしまう。また、規範が男性を苦しめている側面を強調しすぎると、男性が受け取っている優位のほうが見えにくくなる。

弱音を吐けないこと自体は、まぎれもない不利益である。ただしその不利益は、優位と引き換えに支払われている。両方を同時に見るのが、この語のいちばん難しいところだ。

→男性学 →ジェンダー規範 →ホモソーシャル(ホモソ)(homosocial) →家父長制(patriarchy) →弱者男性

参考文献

  • R・W・コンネル『マスキュリニティーズ——男性性の社会科学』(伊藤公雄訳、新曜社、2022年)
  • 伊藤公雄『男性学入門』(作品社、1996年)
  • 清田隆之『さよなら、俺たち』(スタンド・ブックス、2020年)

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