「有害な男らしさ」の対として使われる語。女性に期待される規範のうち、それに従うことが本人や周囲を損なうものを指す。

具体的には、常に感じよくあること、自分の要求を後回しにすること、場の空気を保つために感情を管理すること、そして自分より規範から外れた女性を責めること。最後のものは内面化されたミソジニーと呼ばれ、抑圧されている側が抑圧の担い手になる回路として働く。

ただしこの語には、扱いに注意がいる。まず、有害な男らしさが他者への加害に向かいやすいのに対し、有害な女らしさは自分への抑圧に向かいやすい。方向が違うものを「どちらも有害だ」と並べると、力の非対称が見えなくなる。

現れ方には、自分に向かうものと他人に向かうものがある。前者は、自分の要求を後回しにし続けること、感じのよさを保つために感情を管理し続けること。後者は、無視や噂、協力の拒否といった、直接的でない形の攻撃である。これらが女性に多く見られるとすれば、それは資質の問題ではなく、直接怒ることを許されてこなかった立場の人に残された手段がそれだったからだ。同じ形の攻撃は、部下から上司へ、下請けから元請けへという力関係でも観察される。

有害なのは女らしさそのものではない。それを降りることを許さない仕組みのほうである。この区別を落とすと、語は反転して刃になる。

→有害な男らしさ →ミソジニー →「女子のさしすせそ」をやめることについて →アサーティブ →女性をしっかり生きる

参考文献

  • ケイト・マン『ひれふせ、女たち——ミソジニーの論理』小川芳範訳、慶應義塾大学出版会、2019年
  • A・R・ホックシールド『管理される心——感情が商品になるとき』石川准・室伏亜希訳、世界思想社、2000年

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