ある性別に属する人はこう振る舞うべきだ、という社会の期待の総体。服装、話し方、感情の出し方、就く職業、家庭での役割まで含む。

ステレオタイプと似ているが、働き方が違う。ステレオタイプは「〜であるはずだ」という記述であるのに対し、規範は「〜であるべきだ」という要求である。そして規範には制裁がついてくる。守らなければ、笑われ、注意され、評価を下げられ、場合によっては暴力を向けられる。制裁があるからこそ、規範は自発的に選ばれたものに見えるまで内面化されていく。

厄介なのは、規範が矛盾したまま同時に課されることである。女性には有能であることと出しゃばらないことが同時に求められ、男性には稼ぐことと家庭を大事にすることが同時に求められる。どちらの要求にも応えられないよう設計されているかのような場面は珍しくない。

バトラーの言い方を借りれば、規範は繰り返し演じられることで、あたかも生まれつきの性質であるかのように見えてくる。裏を返せば、繰り返しに失敗する余地——ずれ、ためらい、やらないこと——のなかに、規範を揺らす隙間がある。

規範は法律のように条文があるわけではない。誰も命じていないのに、全員が知っている。だからこそ、破ったときに何が起きるかを見れば、その社会が何を守ろうとしているかが分かる。

→ジェンダー(gender) →ステレオタイプ →有害な男らしさ(toxic masculinity) →ヘテロノーマティビティ →本質主義・構築主義

参考文献

江原由美子『ジェンダー秩序』(勁草書房、2001年)

加藤秀一『はじめてのジェンダー論』(有斐閣、2017年)

ジュディス・バトラー『ジェンダー・トラブル』(竹村和子訳、青土社、1999年/新装版2018年)

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