ジェンダーが、あらかじめ内側にある本質としてではなく、繰り返される行為の効果として成り立っているとする考え方。ジュディス・バトラーが1990年の『ジェンダー・トラブル』で提示し、クィア理論の中心概念となった。
まず訳語について。日本語の「遂行」は、任務を最後までやりとげる、という意味で使われる。だが performative の語源はそこではない。言語哲学者オースティンの「行為遂行的発話」が出発点である。「これより開会します」という発言は、開会という事実を記述しているのではなく、言うことによってそれを成立させている。行為が、先にある事実を写すのではなく、事実のほうを作る。この構造を指す語である。
バトラーはこれをジェンダーに当てはめた。歩き方、話し方、身振り、服装——それらは内側にある女らしさや男らしさの表現ではなく、その反復によって「内側にそういうものがある」という感覚が事後的に生じている。順序が入れ替わっている、というのが議論の核である。
しばしば誤解されるのは、「では毎朝ジェンダーを選べるのか」という読み方である。バトラーはこれを明確に否定した。反復されるのは、その人が選んだ台本ではなく、すでに社会にある規範だからである。演じる主体が先にいて役を選ぶのではなく、反復のなかで主体のほうが形づくられる。
この概念の射程は、批判の道具であることにある。反復によって成立しているものは、反復のずれによって揺らぐ。同時に、完了もない。誰も「本物」に到達していない——その点では、シスジェンダーの人も例外ではない。違いは、到達を証明するよう求められるかどうかだけである。
→ジェンダー →クィア・スタディーズ →シスジェンダー →ヘテロノーマティビティ
参考文献
- ジュディス・バトラー『ジェンダー・トラブル——フェミニズムとアイデンティティの攪乱』竹村和子訳、青土社、新装版2018年
- ジュディス・バトラー『問題=物質となる身体——「セックス」の言説的境界について』佐藤嘉幸監訳、以文社、2021年
- 藤高和輝『ジュディス・バトラー——生と哲学を賭けた闘い』以文社、2018年