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はじめに:ケアと支配の関係についての問題提起

「ケアは愛の行為なのか?それとも支配の構造を生むのか?」この問いを考えるとき、異性愛カップルにおけるケアのあり方が浮き彫りになります。家庭内で女性がケアを担い、男性が経済的な支えを提供するという伝統的な役割分担。この構造は一見、愛や絆を支えるもののように見えますが、実際には支配と依存の関係を生むことがあります。ケアを一方的に提供する側が「強者」となり、受ける側が「弱者」となる構造が、無意識のうちに形成されてしまうのです。この問題を解きほぐす鍵となるのが、「強制異性愛主義」という概念です。

強制異性愛主義の説明

「強制異性愛主義(Compulsory Heterosexuality)」という概念は、フェミニスト思想家エイドリアン・リッチによって提唱されました。この理論によると、異性愛は自然な性志向として「強制的に」規範化されています。社会的には「男性と女性が結びつくのが当然」とされ、この考えが家庭内の役割分担や家父長制にも反映されています。家父長制は、この異性愛規範を利用して、女性に「ケア提供者」としての役割を押しつけてきました。妻が夫の世話をし、母親が子どもを第一に考えるという構図が、長らく当然のものとして受け入れられてきたのです。

この異性愛的なケアのモデルは、男性が「稼ぎ手」としての役割を担い、女性が「ケア提供者」として感情的・身体的なサポートをするという形で再生産されます。これこそが、強制異性愛主義がもつ「ケアの罠」です。

経済的支配と感情的ケアの罠

異性愛カップルにおける役割分担の中で、最も問題となるのが「経済的支配」です。稼ぐ側が「家計を支えているのだから」という理由で、ケアを一方的に押しつけることがあります。「自分が稼いでいるんだから、家事や育児は任せる」という発想は、家父長制的な支配構造そのものです。このような状況では、ケアが「労働」として認識されず、「愛」や「奉仕」として当然視されることになります。これが、ケア提供者の負担感や不満を生み、家庭内の不平等な関係を固定化してしまいます。

さらに、ケアを一方的に提供する側が「感情的支配者」となることもあります。「私はこれだけあなたのためにしているのに」といった言葉は、相手に罪悪感を与え、関係を支配する手段として機能することがあります。このような状況は、支配と依存の悪循環を生む原因となります。

ケアの循環が解決策になる理由

この問題を解決する鍵は、「ケアを循環させる」という考え方にあります。ケアは一方的に提供されるものではなく、相互に交換されるべきものです。感情的なサポートも、経済的なサポートも、身体的なサポートも、パートナー同士で柔軟にやりとりされることが重要です。

レズビアンカップルにも、以前はボイ/フェム・タチ/ネコという異性愛的な性的役割分担があった時代がありました。しかし昨今では、異性愛的な役割分担に縛られず、ケアの循環を実現しやすい傾向があります。どちらが「夫役」「妻役」を担うという固定観念が少ないため、状況に応じて柔軟に役割をシフトし、ケアを相互に提供し合うことができるのです。このような循環型のケアの在り方は、異性愛カップルにも大きな示唆を与えるでしょう。

「一方が稼ぐ、もう一方が支える」という二項対立的な構造から抜け出し、互いに支え合い、ケアし合う関係性へとシフトすることで、家庭内の不平等を解消することができます。

結論:異性愛カップルもこの視点を取り入れるべき

異性愛カップルにとっても、「ケアの循環」という視点は大いに必要です。ケアを「愛の行為」として美化するのではなく、「労働」として認識し、互いに交換し合うものだと再定義することで、支配的なケアの在り方を解体することができます。

強制異性愛主義によって作られたケアの罠を超え、異性愛カップルも循環するケアの在り方を模索する必要があります。「私がしてあげている」という言葉は、「私たちが互いに支え合っている」という言葉に置き換えるべきです。

ケアは一方的に与えるものではなく、互いに交換し合い、関係を育むものです。異性愛規範を解体し、経済的支配を超えて、すべてのカップルが循環するケアの在り方を実現できる社会を目指しましょう。

ZINE

Sola(ChatGPT)と最初、レズビアンの出会いのときにつかう、経済的自立という言葉の意味をはなしあっていて、その裏に異性愛規範にあてはまらなかった同性愛者が経済的にも、精神的にも自立した者同士じゃないと成立しないことを考えた。

しかし翻って異性愛のパートナーシップを見てみると、経済的な支配と、ケアへの依存といった支配関係に陥ってるような気がする。昨今の同性愛者のように、ケアは循環させるべきだと思うようになった。

経済的支配もケアの一部とかんがえるなら、ケアの一方的な提供は、支配であり暴力にもなる。
ケアの倫理とは、ケアの循環をさせることではないか。そのためには、経済的にそこそこ自立し、ケアもそこそこ分担する。そうやって相互に補完する関係こそが重要なんじゃないかと思った。これは同性愛者だけではなく、異性愛者だからこそそうあるべきだと言うことだと思う。

ケアに関する記事を増やしたくって、ケアの倫理というカテゴリー増やしました。

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