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最近、あるカップ麺のCMが「性的表現」として炎上しました。映像には、失恋して涙を流しながらカップ麺を食べる女性が描かれています。しかし、なぜこの表現が炎上したのでしょうか?フェミニズム、男性学、メディア表現の視点から考えてみます。
1. フェミニズムの視点:「女性は失恋ぐらいで泣くべきでない」
「女性は感情的な生き物だ」というジェンダーステレオタイプが根強くあります。このCMも、失恋で泣く女性を描くことで「女は男に支配される存在」という暗黙のメッセージを伝えてしまっているのではないか、という批判が出ました。
「女性は強くあれ」「男のことで泣く必要はない」というフェミニスト的な視点から、この表現に反発する人がいるのは自然なことです。
2. 男性学の視点:「弱った女性を性的に消費する構図」
男性が女性を「守りたい」「慰めたい」と思う心理は、しばしば女性の弱さを魅力的に見せる演出と結びつきます。
「泣いている女性」「食事をしている女性」は、ポルノグラフィの文脈においても「無防備な姿」として扱われがちです。そのため、意図せずとも「弱った女性を性的に消費する構造」が生じてしまった可能性があります。
3. 文化的・ジェンダー規範の視点:「女の涙は美しい」という消費
メディアは古くから「女性の涙」を「美しいもの」として描いてきました。映画やドラマでは、失恋した女性が雨の中で泣く、暗い部屋で泣き崩れるといったシーンが定番です。
こうした「女性の涙の消費」が、広告にも持ち込まれたことで「またか」「使い古されたステレオタイプだ」と批判を招いた可能性があります。
4. ポルノグラフィ的な視点:「食べる×泣く」が性的に見える?
食事と性的表現は、映像表現においてしばしば重なり合うことがあります。特に「開口・咀嚼・涙」という組み合わせは、無意識のうちにエロティックなイメージを喚起する場合があります。
これは制作者の意図とは関係なく、視聴者側が「そう見えてしまう」ことによって発生する問題でもあります。
5. マーケティングの視点:「失恋したらカップ麺を食べるべき?」
企業の広告は、消費者に「こういう時にこの商品を使うべき」とイメージさせるものです。
このCMでは「失恋→涙→カップ麺」という連想を作り出しており、「感情の消費」を誘導するマーケティング戦略が見え隠れします。
「女性の感情を利用して商品を売るのはどうなのか?」という視点からの批判もあります。
6. 既視感の問題:「またこのパターン?」
このような「失恋→涙→食べる」という描写は、映画やアニメであまりにも頻繁に使われてきました。そのため、「またか」「ありきたり」と感じる人がいてもおかしくありません。
ジェンダー問題だけでなく、「陳腐な表現が批判された」という側面もあるでしょう。
7. 社会の感受性の変化:「10年前なら問題にならなかった?」
以前ならスルーされていた表現でも、現在はジェンダー意識が高まり、問題視されることが増えています。特に広告は社会の価値観の変化を反映しやすいジャンルです。
「なぜ今これが炎上するのか?」を考えると、時代の変化が見えてきます。
まとめ:「炎上の背景にはさまざまな要素が絡んでいる」
この炎上は、単なる「性的な表現だから問題」という単純な話ではなく、ジェンダー・消費・メディア表現・文化的文脈など、さまざまな要素が絡み合った結果と考えられます。
一方で、すべての視聴者がこのCMを「性的だ」と感じたわけではないことも事実です。このような議論は、メディアがどのように女性を描くべきか、広告がどんな影響を持つかを考える良い機会にもなります。
ZINE
こうやって整理すると、「非実存型ネット炎上」だから無視しましょうでは片付けられない問題があるようにおもいます。炎上させた側は過剰反応だとしても、その背景(女性の涙と資本主義、男性の弱者への性的まなざし)というものはあるわけで、そこを議論しないと前に進めないと思います。
個人的のは女性が涙を流すシーンが、映画の中から消えてくことには違和感があります。コンテクストをつめて表現できればよかったなと思いました。