人を、意思や感情を持つ主体としてではなく、性的な用途を持つモノとして扱うこと。広告や作品のなかでの描かれ方から、日常の視線や言葉まで、現れ方は幅広い。

哲学者マーサ・ヌスバウムは、この「モノ扱い」をひとつの塊として論じるのではなく、いくつかの成分に分けて考えた。道具のように使うこと、自分で決める力を認めないこと、取り替えのきくものとみなすこと、傷つけてもかまわないものとみなすこと、そして、その人にも内面があるという事実を無視すること。実際の場面では、これらのいくつかが組み合わさって働く。分解して見ると、何が問題なのかを名指しやすくなる。

映画理論の側からは、ローラ・マルヴィが「見る側」と「見られる側」の非対称を論じた。カメラの視線が男性のものとして組み立てられ、女性は見られる位置に置かれる、という指摘である。

さらに、モノ化は外側からされるだけではない。心理学の研究は、繰り返し見られる側に置かれた人が、自分自身を外から採点するようになる過程を「自己対象化」と呼んだ。鏡の前で自分を点検する習慣は、どこから来たのか。この問いは、外見をめぐる苦しさを個人の性格の問題から切り離してくれる。

→ミソジニー →ルッキズム →男性のまなざし

参考文献

  • Martha C. Nussbaum, “Objectification,” Philosophy & Public Affairs, Vol.24 No.4, 1995
  • Laura Mulvey, “Visual Pleasure and Narrative Cinema,” Screen, Vol.16 No.3, 1975
  • Barbara L. Fredrickson & Tomi-Ann Roberts, “Objectification Theory,” Psychology of Women Quarterly, Vol.21 No.2, 1997
  • ジェンダー事典編集委員会編『ジェンダー事典』丸善出版、2024年

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