少人数で集まり、自分の経験を順に語っていく実践。1960年代末のニューヨーク・ラディカル・ウィメンで、キャシー・サラチャイルドらによって方法として定式化された。

やり方は単純である。テーマを決め、参加者が順番に自分の経験を話す。**指導者を置かない。議論して結論を出さない。誰かの発言を評価しない。**この「しない」の部分が方法の核心にあたる。分析は最初からするのではなく、いくつもの経験が並んだあとに、そこに共通する形として立ち上がってくる。

なぜこの形なのか。当時、女性が抱える不満は「個人の性格の問題」「夫婦の相性の問題」として処理されていた。ひとりで考えるかぎり、それは自分の欠点にしか見えない。ところが十人が同じ話をしたとき、それは性格ではなく構造だと分かる。「個人的なことは政治的なこと」という言葉は、この実践から出てきた。

日本でもリブ合宿やリブ新宿センターで同種の集まりが持たれ、女たちが自分の言葉を持つ場になった。

批判もある。集まる人が似た属性で固まっていると、そこで見出される「共通の経験」もまた偏る。第二波が語った女性の経験が白人中産階級のものに寄っていたのは、この構造と無関係ではない。誰が同じ部屋に入れて、誰が入れなかったのか。

SNSでの語りは、CRの延長にあるとも言える。ただし違いも大きい。相手が見えないこと、記録が残ること、そして聞き手を選べないこと。

→ウーマンリブ →個人的なことは政治的なこと →田中美津 →インターセクショナリティ(intersectionality) →エンパワーメント

参考文献

  • Kathie Sarachild, “Consciousness-Raising: A Radical Weapon” (Feminist Revolution, Random House, 1978)
  • 井上輝子『日本のフェミニズム——150年の人と思想』(有斐閣、2021年)
  • 上野千鶴子『女ぎらい——ニッポンのミソジニー』(朝日文庫、2018年)

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