思想家、女性解放運動家。東京・麹町生まれ。本名は平塚明(はる)。日本女子大学校卒。

1911年、25歳で女性だけの文芸誌『青鞜』を創刊し、その巻頭に「元始、女性は太陽であった」で始まる発刊の辞を掲げた。かつて自ら光を放っていた女性が、いまは他者の光を受けて輝く月になっている——この一文は、女性が誰かの付属物として生きることへの拒否として読まれ、当時の読者に強い衝撃を与えた。

『青鞜』の女性たちは「新しい女」と呼ばれ、好奇と嘲笑の的にもなった。らいてう自身も、年上の男性との心中未遂や、婚姻届を出さないままの共同生活が繰り返しスキャンダルとして扱われている。制度に登録されない関係を選ぶことは、当時の家制度への正面からの異議申し立てだった。

出産を経た1918年からの母性保護論争では、育児期の母親を国家が保護すべきだと主張し、経済的自立を優先する与謝野晶子と対立する。山川菊栄や山田わかも加わったこの論争は、ケアの負担を誰が引き受けるのかという問いを、日本語ではじめて公共の場に置いた出来事でもあった。

1920年には市川房枝、奥むめおと新婦人協会を結成。女性の政治集会への参加を禁じていた治安警察法第5条の改正を実現させている。戦後は平和運動に軸足を移し、1971年に85歳で没した。

らいてうが求めた「保護」は、いまのケアをめぐる議論とどこで重なり、どこで分かれるだろうか。

→青鞜 →第一波フェミニズム(first-wave feminism) →日本社会とリブ・フェミニズム →ケアの倫理(ethics of care) →家父長制(patriarchy)

参考文献

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