日本のウーマンリブを代表する運動家、のちに鍼灸師。東京・本郷の魚屋の家に生まれた。

1960年代にベトナム反戦運動に加わるが、運動内部の男性中心のあり方に違和感を深めていく。1970年、「便所からの解放」と題するビラを配布。女は「母性」と「便所」という二つの像に切り分けられている——産む存在として持ち上げられるか、性のはけ口として扱われるか——という指摘は、当時の言葉としては激烈で、そして正確だった。同年10月、日本初とされるウーマンリブのデモの中心を担う。1972年にはリブ新宿センターを開設した。

1972年の『いのちの女たちへ——とり乱しウーマン・リブ論』が主著である。ここで彼女が打ち出した「とり乱し」という語は、この人の思想の核にある。理路整然と怒るのではなく、矛盾したまま、格好悪いまま声を出すこと。強い女として立つのではなく、弱さや揺れを抱えたままの「ここにいる女」から始めること。運動が正しさで人を裁き始めるとき、この言葉は今も効く。

1975年、疲弊のなかメキシコへ渡り約4年を過ごした。帰国後、生活保護を受けながら鍼灸学校に通い、1982年に開業。以後は治療者として人の体に触れる仕事を続けた。2019年にはドキュメンタリー映画『この星は、私の星じゃない』が公開されている。2024年8月7日、多臓器不全のため死去。81歳だった。

運動から降りたのではなく、場所を変えて続けた人だと思う。

→ウーマンリブ →コンシャスネス・レイジング →個人的なことは政治的なこと →上野千鶴子 →第二波フェミニズム(second-wave feminism)

参考文献

  • 田中美津『新装版 いのちの女たちへ——とり乱しウーマン・リブ論』(パンドラ、2016年)
  • 田中美津『かけがえのない、大したことのない私』(インパクト出版会、2005年)
  • 映画『この星は、私の星じゃない』(吉峯美和監督、2019年)

この記事を書いた人