トランスジェンダーの経験を、フェミニズムの外側にある別のテーマとしてではなく、その内側の問題として引き受けようとする立場。1990年代末から2000年代にかけて、主に北米で言葉として定着した。

背景には、フェミニズムの内部で繰り返されてきた排除がある。運動やイベントから「女性として生まれた者」だけを参加者とする線引きが行われ、トランス女性が締め出されてきた。トランスフェミニズムは、その線引きこそが問い直されるべきだと考える。

主要な論者の一人であるジュリア・セラーノは、トランス女性に集中的に向けられる嫌悪が、トランスフォビアであると同時にミソジニーでもあると論じた。女性的とされる装いや振る舞いが「わざとらしい」「作り物だ」と貶められるとき、そこで軽んじられているのは女性性そのものではないか、という指摘である。

トランスジェンダーはトランス女性だけを指すわけではない。トランス男性、どちらにも収まらない人びとを含めて考えるとき、「女」という主語がどこまでを指してきたのか、その輪郭が揺らぐ。この揺らぎを危機ではなく、フェミニズムが自らの前提を点検する機会として受け取る──それがこの立場の要点だといえる。

→ トランスジェンダー/トランス排除(TERF/ジェンダークリティカル)/ミソジニー/レズビアンフェミニズム/セクシュアリティ

参考文献

  • ジュリア・セラーノ『ウィッピング・ガール——トランスの女性はなぜ叩かれるのか』(矢部文訳、サウザンブックス社、2023年)
  • ショーン・フェイ『トランスジェンダー問題——議論は正義のために』(高井ゆと里訳、清水晶子解説、明石書店、2022年)
  • 周司あきら・高井ゆと里『トランスジェンダー入門』(集英社新書、2023年)

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